能楽および金春の歴史

金春流(こんぱるりゅう)

家伝によれば、金春流Komparu Schoolは聖徳太子に仕えた秦河勝(はだの こうかつ)を家祖とすると言われ、現家元金春憲和で81世を数える能楽最古の歴史を有する流儀です。芸風は謡も型も古い様式を随所に残す最も古風なものです。素朴かつ雄渾な金春流の能をぜひお楽しみください。

金春禅竹(こんぱるぜんちく)

金春流中興の祖、57世金春禅竹(こんぱる ぜんちく)は能楽の大成者世阿弥(ぜあみ)の女婿で、世阿弥から『六義(りくぎ)』『拾玉得花(しゅうぎょくとっか)』のほか多くの伝書を相伝されるなど、第2代観世大夫(かんぜだゆう)である世阿弥とは親密な関係でした。岳父の薫陶を得た禅竹は、名曲と謳われる「芭蕉(ばしょう)」や「野宮(ののみや)」などの能作、また『六輪一露之記(ろくりんいちろのき)』『明宿集(めいしゅくしゅう)』など多くの伝書を残すなど、世阿弥の事績を受け継ぎ能楽大成に大きく寄与しました。 

禅竹以後

 禅竹以後も「嵐山(あらしやま)」などの能作者としても有名な59世金春禅鳳(こんぱる ぜんぽう)などを輩出しました。とくに62世金春安照(こんぱる やすてる)は金春の能に耽溺した太閤豊臣秀吉に贔屓庇護され、徳川家康の代になっても四座(観世Kanze・宝生Hosho・金春Komparu・金剛Kongo)の最年長の大夫として優遇されるなど、金春流は能楽史の中で重きをなして来ました。江戸時代には観世座に次ぐ序列ながら金春八左衛門(こんぱる はちざえもん)家、竹田権兵衛(たけだ ごんべい)家、大蔵大夫(おおくらだゆう)家など多くの分家を有していました。現代でも名門櫻間(さくらま)家を擁し、高い格式を誇っています。現在の主な地盤は、東京・奈良・名古屋・熊本・福岡・鹿児島などです。

能楽の歴史と金春流

701(大宝1) 散楽戸が設置される

863(貞観5) 神泉苑の御霊会に猿楽奉仕。猿楽の初めての祭礼参仕となる

869(貞観11) 興福寺西金堂で修二会が始まり、これに参勤した猿楽が後の薪猿楽へ発展

1136(保延2) 春日若宮祭始まる。田楽、猿楽も参仕

1333(元弘3) 観阿弥、大和山田猿楽の三男として生まれる

1363(貞治2) 世阿弥がこの年か翌年に生まれる

1375(永和1) この年か前年、観阿弥が12歳の世阿弥を伴い、今熊野で猿楽を興行。足利義満が初めて猿楽を見物し、以後猿楽の地位が飛躍的に向上する

1424(応永31) 金春大夫(禅竹)京都八条坊門で勧進能を催す

1428(正長1) 世阿弥、金春氏信(禅竹)に「六義」「拾玉得花」を相伝。氏信はすでに世阿弥の女婿だったらしい

1434(永享6) 世阿弥、佐渡に配流

1466(文正1) 金春大夫元氏(宗筠)、近江坂本で勧進能。禅竹「六輪一露秘注(文正本)」を著述。前年に同寛正本(現在金春宗家蔵)を著述

1467(応仁1) 応仁の乱勃発。その後猿楽は貧窮する

1505(永正2) 金春大夫元安(禅鳳)、京都粟田口で四日間の勧進能を興行

1546(天文15) 足利義輝元服祝賀能に観世大夫元忠・金春大夫喜勝ら参仕

1560(永禄3) 薪猿楽、役者が揃わず中止。以後30年程は金春一座が参勤か中止が多くなる。春日若宮祭も同様1588(天正16) 本願寺の坊官下間少進(金春流)、この頃から活発な演能を展開

1593(文禄2) 豊臣秀吉、肥前名護屋に金春安照はじめ四座の役者や手猿楽(素人役者)を呼び寄せ、演能させる。秀吉の後援で金春流が隆盛。秀吉より、この年から四座の役者に知行や扶持米が与えられる

1595(文禄4) 豊臣秀次が金春流の102番を対象曲とし、五山の僧らに「謡之抄」の編纂を命じる

1596(慶長1) 下間少進、「童舞抄」「舞台之図」「叢伝抄」を著述

1600(慶長5) 日本初の刊行謡本である車屋本(金春流謡本)を、鳥養道晣が刊行開始。翌年天覧に供する

1604(慶長9) 秀吉の七回忌の豊国神社臨時祭に、四座立合の「翁」や新作能(金春流は「橘」)が演じられる

1607(慶長12) 江戸城本丸と西丸との間で、観世・金春立合の勧進能が四日間催され、徳川家康・秀忠も見物した

1628(寛永5) 金春大夫重勝、浅草で勧進能に参勤

1645(正保2) 竹田権兵衛安信(金春分家初代)、京都二条河原で四日間の勧進能を興行

1665(寛文5) 金春大夫元信、本所で勧進能に参勤

1698(元禄11) 刊行謡本の数は500番を超える

1868(慶応4) 徳川幕府崩壊。五座の能役者は扶持を離れる

1870(明治3) 薪猿楽、若宮祭は金春流だけで執行

1878(明治11) 明治天皇、青山大宮御所に能舞台を造営。翌年観能した岩倉具視に能の保存を勧告される

1880(明治13) 薪猿楽、金春流や大蔵流茂山家の出演により、「薪能」の名で再興

1935(昭和10) 海外向け紹介映画「葵上」(シテ櫻間金太郎・金春流)が制作される

1941(昭和16) 世阿弥自筆の伝書・書状を含む膨大な金春家旧伝文書が、生駒宝山寺で発見される

1945(昭和20) 現(公社)能楽協会が創設される

1955(昭和30) 世阿弥の伝書「拾玉得花」が金春宗家書庫より金春晃実により発見される

1964(昭和39) 金春禅竹の「明宿集」が発見される

1983(昭和58) 東京・千駄ヶ谷に国立能楽堂が建設される

1985(昭和60) 銀座金春通りにて、金春祭りが始まる

1986(昭和61) 社団法人金春円満井会設立

2000(平成12) 豊公能十番の内、未発見曲の一つであった「この花」が金春安明により発見され、翌年上演される

2001(平成13) 能楽がユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の第1回「人類の口承及び無形遺産の傑作」の宣言を受け、無形文化遺産として世界の注目を集める

2004(平成16) 秀吉七回忌に上演された「橘」が400周年として再演される

2006(平成18) 金春安明、八十世宗家を継承

2011(平成23) 公益社団法人金春円満井会として設立登記

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金春流の定例公演

金春会定期能
2024年
6月2日(日)12:30開演
「花月」本田芳樹
「采女」金春安明
「海人」佐藤俊之
円満井会えんまいかい定例能
2024年
6月8日(土)12:30開演
「養老」森瑞枝
「半蔀」林美佐

矢来能楽堂

金春流の特別行事

薪御能
2024年5月
17日(金) 興福寺/春日大社
18日(土) 興福寺/春日大社
大宮薪能
2024年5月
24日(金) 大宮氷川神社
25日(土) 大宮氷川神社
轍の会
2024年7月7日(日)
国立能楽堂 
「清経 恋ノ音取」本田芳樹
「伯母捨」櫻間金記
座・SQUARE
2024年7月15日(月・祝)
13:00~国立能楽堂
「班女」井上貴覚
「鞍馬天狗」山井綱雄
金春祭り
2024年8月7日(水)18:00~
能楽金春祭り 銀座金春通り
路上奉納能 獅子三礼
鎌倉薪能
2024年10月11日(金)
鎌倉宮境内 鎌倉・大塔宮
春日若宮おん祭り
2024年12月
17日(火)
18日(水)
春日若宮御祭礼式能
奈良市春日大社
弓矢立合、神楽式ほか