能楽研究家後藤和也氏による

鹿児島と能 日本全国能楽キャラバン!鹿児島公演2023

日本全国能楽キャラバン!金春円満井会 鹿児島公演

2023年1月4日(水)日本全国能楽キャラバン!能楽金春流 金春円満井会鹿児島公演 14:00~かごしま県民交流センター 県民ホール能舞台 「江口」シテ山井綱雄 ツレ井上貴覚/本田芳樹 狂言「末広がり」野村万禄 半能「石橋 古式」シテ髙橋忍 ツレ辻井八郎

鹿児島と能

 鹿児島と能は縁が薄いと感じている方もおられると思います。しかし、鹿児島の能楽史を振り返ると、江戸時代の終わりまで、極めて能が盛んであったことが、林和利氏の一連の研究(『能と狂言』世界思想社)などから明らかになって来ています。

 島津家には能好きな当主が多くいました。特に戦国から安土桃山時代にかけての義久・義弘、江戸時代の重豪(しげひで)が有名。重豪は文化人としても著名で、1日に20番の能が演じられた会を催し、250年ほど経った今でも最多記録。誰か挑戦する人はいないだろうか。

 第16代当主島津義久は、秀吉や家康と同時代の武将で薩摩四兄弟(義久・義弘・歳久・家久)の長男。一時期九州の大半を支配。領土の縮小はあったが、豊臣・徳川政権下で薩摩を守った智将。能を好み、能を催した記録が多数残る。薩摩と能を結ぶ礎のような存在。

 義久の時代は一王大夫(いちおうだゆう)が活躍。義久の前で能や謡を披露しています。義久は狂言も好んだようで狂言の記録も散見されます。武将が能を習い自ら能を舞うことが多いなか、義久がシテを勤めた記録はなく、能を観ることの方が好きだったようです。

 

【島津義弘】

 島津家17代当主。関ヶ原の合戦に石田三成方として参戦。「島津の退き口(のきぐち)」や「島津の捨て奸(すてがまり)」と呼ばれる勇敢な撤退戦を展開し島津の意地を見せた勇将。彼も能を好みましたが息子の家久がそれ以上の能好きでした。

 1594年、文禄の役の陣中で、息子の家久が義弘をもてなす宴を主催。その際に乱舞()が演じられ義弘が観ている記録があります。なお義弘は能に傾倒しすぎる家久を戒める書状を送った記録まで残っています。

 

【島津家久】

 島津家18代当主で薩摩藩初代藩主。秀吉の時代から江戸時代にかけて活躍。とくに慶長の役で奮戦した猛将。和歌・連歌・茶の湯・能を好んだ文化人でもある。なお叔父に同名の家久がいるため、区別するため忠恒(ただつね)と呼ばれることが多い。

 1602年には義久・義弘・家久が「高砂」の謡の稽古をした記録があります。家久は面白い人で能を観られなかったことを悔やむ和歌が残っています。自ら能を演じることも好み、家康の前で演能に熱中し座ったまま仕舞を真似た逸話まであります。

 薩摩藩で最も有力な能の名家が中西家でした。この家の祖先が手猿楽の虎屋長門で、金春流の下間少進(しもつましょうしん)に能を習った記録があり芸系は金春流でした。後に中西家は正式に金春流所属となっています(林和利『能と狂言』)

 中西家の祖先・虎屋長門は家久によって召し抱えられた役者でした。虎屋は中西と改姓し薩摩藩の能の中心の名家でした。薩摩には他流の能役者もいましたが、金春流が大きな位置を占めていたことは、金春流にとっては誇らしいことです。

 家久は1608年に金春流の能伝書『童舞抄(とうぶしょう)』を書写する望みがかない、礼状を虎屋長門に送っています。『童舞抄』の著者は虎屋長門が習った金春流の下間少進です。かなりの分量の書で、家久の能への熱量が感じられます。

 1615年、二条城で観世大夫(だゆう)と金春大夫の演能があり、その数日後の伏見城での能も家久は観ています。家久は度々能を舞っており、薩摩で能を舞いたいという希望を記した手紙を娘婿の島津久慶に送っているほどの能好きでした。

 1630年には江戸の薩摩藩桜田邸を将軍徳川家光が訪問し能が演じられました。三日後には前将軍徳川秀忠が桜田邸を訪問し能が上演されています。秀忠・家光も能好きで有名な将軍であり、薩摩藩と能の結びつきの強さが感じられます。

 家久は次男で8歳の虎寿丸に、鼓の稽古に励むよう叱咤する手紙を京都から出しており子供にも能を熱心に習わせていました。家久の時代には能が薩摩藩で極めて盛んになり、『伊地知重康日記』にも鹿児島城下での能楽熱の高ぶりが記されています。

 家久は能を好む文化人、勇猛な武将、初代薩摩藩主の顔を持ちます。元来の文化人気質もあったでしょうが、関ヶ原で三成方に加担した薩摩が生き残るため、能に熱中することで反徳川の意志がないことをアピールしていたのかもしれません。

 

【島津重豪(しげひで)

 25代当主の重豪は歴代でも屈指の能好きな当主でした。将軍の家重・家治を祝うため、重豪が主催し、芝の薩摩藩邸で演能が行われました。この時は金春宗家と観世宗家が召しだされ能を舞っています。

 重豪は家治の将軍宣下を祝い1761年に老中以下の重職をもてなし、そこで金春宗家と観世宗家の能が演じられました。蛇足ですが江戸時代の宗家は将軍の前で舞うなど重圧が大きく、若くして隠居する宗家が少なくありませんでした。

 重豪自身も能を舞っています。古い記録では18歳の時の正月4日に能「羽衣」を舞っています。翌年には弱冠19歳で宝生宗家から翁舞の伝授まで受けています。この年の年忘れの宴では「井筒」を舞っており腕は確かだったようです。

 重豪が20歳の時には祖母の嶺松君のための宴を主催し、能「加茂」を舞っています。「加茂」はめでたい能で、金春中興の祖と呼ばれる金春禅竹の作と言われています。重豪の人柄が見えるような催しです。

 1765年の124日から5日にかけて、ほぼ24時間かけて能20番、狂言10番という、とんでもない催しを試みています。プロデュースの才能にたけた人でしたが、これはやり過ぎでしょう。この記録は鹿児島で作られました。

 前後しますが20歳の時に鹿児島の稲荷神社で法楽能を主催。自ら能「嵐山・田村・羽衣・安宅・弓八幡」のシテを勤めています。多くの能の催しを主催し自身も能を舞った重豪は、江戸時代に鹿児島で能が盛んだったことを象徴するような人物でした。

 

  林和利氏の『能と狂言』 によれば、26代斉宣は「熊野・八島・乱」を舞い、27代斉興は大倉流小鼓を習得、幕末の久光は宝生流謡曲を深くたしなんでいた、と言います。これからも新たな発見があることを期待したいです。

  1987年の『岩波講座 能・狂言』では薩摩藩の能楽史に関する記述は三行だけでした。その後、林和利氏・鹿児島県立埋蔵文化センターなどの業績により薩摩藩の能楽史研究が飛躍的に進展し、極めて能が盛んだったことが明らかになってきています。

  近年、鹿児島城(鶴丸城)から能舞台の跡が発見され話題になりました。城下には中西・柏木・小幡に能舞台があり、なかでも頭屋能舞台では神事能が行われていました。

 林和利氏の『能狂言』によれば、鹿児島諏訪大明神の頭屋能舞台では例大祭のさいに神事能が奉納されていました。ちなみに室町時代の「神事」の発音は「ジンジ」と濁ります。

  江戸では勧進能や幕府主催の町入能で庶民が能を観る機会はあるにはありました。しかし実際には観能の機会は極めて稀でした。薩摩藩には能舞台が城下に点在していたことから、庶民が能に触れる機会があったことは、全国的にも稀有な例です。

  江戸時代を通し謡本は隠れたベストセラーでした。寺子屋の教材として使われたこともあり、謡を通して庶民は能との接触がありました。そのなかで江戸時代に庶民が能を観られる環境もあった薩摩藩は、能の歴史の中でも特筆すべきことです。

 

 鹿児島と能は戦国の世から江戸時代まで極めて能が盛んだったことが伝えられたのでは、と思います。島津氏の衰退とともに明治以降は能との縁は薄くなってしまいましたが、今回の能楽キャラバンを起爆剤に、鹿児島での能楽熱が復活することを期待したいです。

 金春流の中西家が薩摩藩の能を支えてきた一人でした。鹿児島では金春流の上野寧子師が長く鹿児島金春流の孤塁を守られ、中野由佳子師が精力的に活躍されており、鹿児島と能の歴史が確実に継承されています。

演目解説《江口》

【あらすじ】僧が江口の里で女と会います。女は昔、西行が遊女に宿を断られた話をし、自分がその時の遊女の霊であると語り消えます。やがて舟に乗った遊女の霊が現れ、世の無常を語ると、舞を舞い、普賢菩薩に変じて消えてゆきます。

 【見どころ】遊女達が屋形舟の作リ物に乗っている姿はとても華やかですが、曲全体としては仏教的な荘厳さと気品に満ちています。悟りについて語るクセ、序ノ舞、舟が白象に、遊女が普賢菩薩になり西の空へと消えるキリが見どころ。白象は普賢菩薩の乗り物。

 作者】世阿弥の『五音』にクリを引き、「江口遊女・亡父曲」とあることから、観阿弥原作・世阿弥改作とされてきました。しかし、近年ではクリ・サシ・クセは観阿弥としても、「江口」を現在の形に完成させたのは、世阿弥とする説が有力です。

 出典】歌人・西行と遊女の和歌のやりとりは『新古今和歌集・山家集』など。遊女が普賢菩薩として現れた話は『古事談』などに基づいています。当時の能は現代で言えば、小説の映画化やドラマ化と似た働きがあったと言えるかもしれません。

 史料】応永31年奥書の世阿弥自筆能本が奈良県の宝山寺に現存。598年も前の台本が残っているのは奇跡的なことです。この自筆本は世阿弥から娘婿の金春禅竹に贈られたものです。「江口」が観世から金春に伝わったことも分かる極めて貴重な史料です。

 【間狂言】世阿弥の自筆能本の「江口」にのみ間狂言のセリフが載っています。以前、講座でこの部分を再現したところ、前後あわせ約5分でした。当時の能は30分ほどとされています。5分で着替えが終わるくらいの装束だったのでしょう。現在は15分ほど。

 【現在の江口】「江口」は美しく気品のある曲でありながら、悟りや遊女すなわち普賢菩薩など、仏教的な深みもある曲です。そのため「江口」は「真の女能」とも呼ばれ、シテの女性が優美な舞を舞う「鬘物(かずらもの)」の代表的な曲です。ご期待下さい。

演目解説《石橋(しゃっきょう)》

【あらすじ(前場の内容も記載)】中国の寂昭法師が、文殊菩薩がいるという清涼山へ続く石橋を渡ろうとします。すると樵が現れ石橋を渡るのは危ないから奇瑞を待つように告げて消えます。やがて菩薩に仕える霊獣の獅子が現れ、牡丹の前で華やかに舞を舞います。

 【見どころ】牡丹の花が咲く豪華な舞台は圧倒的です。力強い囃子とともに現れる獅子による豪快な舞が見どころです。最後の謡もテンポが速く、能のイメージが一変するような大曲です。今回は赤白二体の獅子が現れより華やかな舞台になります。

 【歴史】「石橋」の作者や出典は不明です。ただし古い演能記録が残っており室町時代に成立していたことは確かです。しかし、その後、全く演じられなくなり、江戸時代に復曲(表章氏「石橋の歴史的研究」など)して、現行曲となり現在に至ります。

 【演出】獅子が片膝をついて両手を広げ、頭を回すなど、大胆な型や所作が続きます。他曲には見られない大胆な演技は、「石橋」が江戸時代に復曲したため、江戸時代に考えられた演出で演じられているからです。

 【半能】現在「石橋」はほとんど半能(後場のみ)で演じられます。祝言性をより強調するためでもありますが、実は「石橋」は前場と後場の連絡がうまく行っていないことが(表章氏『能楽史新考2』など)、半能が多い理由です。

 【前場と後場】前場では寂昭法師が文殊菩薩に会いにゆくことから「石橋」は始まります。にもかかわらず、後場では法師のことも菩薩のことも全く触れられず、獅子が豪快に舞う様だけが描かれます。前場と後場の不整合が、半能の多い理由かもしれません。

 【習物】能で「習物」といって修得に御宗家の特別な許可と伝授が必要な曲があります。「石橋」も習物の曲です。その意味でも、今回の「石橋」は貴重な観能の機会です。ただ観る側としては、面白い曲なので、舞台上の獅子の舞を楽しんで頂きたいと思います。

 【獅子】「石橋」に出てくる獅子は、文殊菩薩(知恵を授ける菩薩)に仕える霊獣で、文殊菩薩を背に乗せます。お寺などの仏像をよく見ると、獅子の上に文殊菩薩が乗っているのに気づきます。動物園のライオンとはちょっと違います。

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金春流の定例公演

金春会定期能
2024年
9月8日(日)12:30開演
「経 政」井上貴覚
「六 浦」本田光洋
「通小町」金春穂高
円満井会えんまいかい定例能
2024年
9月28日(土)12:30開演
「巴」村岡聖美
「融」柏崎真由子

矢来能楽堂

金春流の特別行事

薪御能
2024年5月
17日(金) 興福寺/春日大社
18日(土) 興福寺/春日大社
大宮薪能
2024年5月 19:00~
24日(金) 大宮氷川神社
25日(土) 大宮氷川神社
轍の会
2024年7月7日(日)14:00~
国立能楽堂 
「清経 恋ノ音取」本田芳樹
「伯母捨」櫻間金記
座・SQUARE
2024年7月15日(月・祝)
13:00~国立能楽堂
「班女」井上貴覚
「鞍馬天狗 白頭」山井綱雄
金春祭り
2024年8月7日(水)18:00~
能楽金春祭り 銀座金春通り
路上奉納能 獅子三礼
鎌倉薪能
2024年10月11日(金)
鎌倉宮境内 鎌倉・大塔宮
春日若宮おん祭り
2024年12月
17日(火)
18日(水)
春日若宮御祭礼式能
奈良市春日大社
弓矢立合、神楽式ほか